講演録「新しい県政の流れと長野県民の選択」

共同の力で住民の人権を守る自治体づくりを

 

石坂 千穂氏(日本共産党長野県議団長)

 

2002年10月20日

第5回住民が主人公の地方自治をすすめる交流集会

   

 

 

 ただいまご紹介いただきました長野県会議員の石坂千穂と申します。長野県知事選挙は圧勝に終わり、2期目の田中県政がスタートしています。議会は表面上見かけの上では大きく変わりましたが、混沌と過渡期の状況です。来年私たちも改選期を迎えます。私たち日本共産党県議団は前回の一斉地方選挙で2名から5名になり、今回の補欠選挙で6名になりました。
 今度の一斉地方選でさらに増やして10名以上にと考えています。

全国ワースト2位の県財政
 田中知事が当選しましたのは2年前の10月の知事選挙でした。長野県では戦後、知事が民選されるようになって最初の社会党員林寅雄知事から数えて3人しか変わっていません。すべてが県の職員・官僚県政が41年間続いた県政でした。知事を代える、県政を変えるためにいつも独自候補を立て、最近は県労連や新婦人、市民団体のみなさんとご一緒に「明るい県政をつくる県民の会」というのを作っており、会の候補者の当選をめざして毎回たたかってきました。しかし、県政の革新はできませんでした。こうした形で県政が変わるとは予想もしていなかったわけです。
 愛知の借金も多いと伺いましたが、長野県の借金は全国ワースト2位、一番が岡山県だということです。長野県は愛知県以上に悪いわけで、年間の予算が1兆円です。これに対して借金は1兆6千億円です。とくに毎年の予算分析で、70年代から90年代にかけて突出しているのが土木費・公共事業予算。ひどいときは当初予算だけでなく景気対策の名で補正予算を含め、決算段階で実に4000億円。年間の4割にあたる予算が公共事業予算に占められるわけです。長野はオリンピックがあったからではないかといわれますが、それもありますが、ほとんどは98年のオリンピック招致のために使われたわけではないのです。ダム建設や高規格道路、ありとあらゆる予算にちりばめられているのです。農業予算は長野県で700億円、とても少ない実態ですが、農業予算の実に8割は農業土木といわれる、ふるさと農道などの公共事業に費やされるわけです。農家の所得補償をしていくとか、価格補償で直接農家を応援するものではないんです。林業予算もまた同じことで、3000億円から4000億円で大体(年間予算の)3分の1は公共事業に費やすという形で予算は執行されてきました。その大半、3億円、5億円の議会承認案件はもちろん、小さい事業も含めてゼネコン発注か地元建設業者の発注かを前の吉村知事時代で調べましたが、実に7割以上がゼネコン発注となっていました。結局恩恵をうけるのは圧倒的にゼネコンであり、地元建設業者は潤うわけでもなく県民は借金だけが押し付けられる。その結果全国ワースト2の借金になったわけです。
 国レベルでは20兆社会保障50兆公共事業というさかさま現象をヨーロッパなみに逆転することを共産党は訴えていますけれど、県政レベルでゼネコン7割地元3割という逆転、公共事業の総額もおさえ、中身を福祉生活密着型の公共事業にきりかえることなしに深刻な県の借金を解決できないし、県民の要望も実現できないと県議会の場で主張してきました。
 県議会は社民党も含めオール与党体制です。公共事業偏重の予算編成に賛成するばかりか、もっと景気対策をという名のもとにけしかける。拍車をかけて借金は増えていくばかりです。大型公共事業をやればやるほど有利だ、有利な起債なんだということを県議会も当局もつい最近まで言っていました。今でも旧オール与党の人は長野県の社会資本整備はまだまだ遅れていて、都会では公共事業の時代ではないかもしれないが、長野県では公共事業をやらなくてはいけない。その例として生活道路の整備が遅れているということをあげます。これは事実で生活道路の整備率は国県市町村道路トータルして長野県の生活道路整備率は今でも全国38位です。年間総予算の4割少なくても3割のお金を(公共事業に)費やしてきたけれども、全国38位という指標が表すように身近な公共事業が後景に追いやられてきたじゃないかという中で2年前の県知事選挙が闘われました。
 こういう状況で長野県の経済も疲弊している。あてにしていたオリンピック関連の公共事業もほとんどゼネコン発注です。国からは競技施設の2分の1しか補助しないというしばりのなかで、準備がすすみ、オリンピック関連予算は国からは降りてこないわけです。農業予算の8割を使って、ふるさと農道や林業予算でやるというメチャクチャがやられたわけです。開会式や閉会式をやる会場とかは全然補助金はこないわけです。ゼネコンに発注され、唯一とりいれられた地元発注は長野市の川中島に作られた選手村の宿舎のみでした。

地域財界までが長野県政の変化を求める
 2年前の県知事選挙では41年間続いた官僚県政の公共事業偏重のやり方が新しい知事になっても続いていくのであれば、長野県の地域経済はダメになってしまう、立ち上がれないんじゃないかと長野県の地域財界が気づきはじめました。長野県の最大手地域銀行、不良債権もなく赤字も作らず優良経営の八十二銀行の頭取などが2年前の県知事選挙で「県政は変わらなければならない。公共事業偏重でなく環境重視に、そして公共事業はゼネコン重視でなく地元企業優先に。」と日本共産党が言うようなことを言い始めました。県の審議会などの委員を務めている文化人、財界人長野商工会議所の会頭さん(今でも田中知事の後援会の主要な役員ですが)らも言い始めました。
 長野県ではほとんど全戸に入っている信濃毎日新聞の知事選シリーズで次々に発言するという今までにない事態が起こりました。

旧態然の大政翼賛型選挙
 それに比べて選挙準備そのものはこれまでと同じように知事の後継者は副知事である、選挙パターンは新しく変化しつつあるということを財界でさえ「今までどおりの県政ではまずい。ゼネコン奉仕の大型公共事業のやり方は変えていかなければならない。」と言っているのに、選挙準備は相変わらず古いスタイルの県庁ぐるみ、組織ぐるみ、市町村長会ぐるみの大政翼賛型の選挙が行われました。地域を決めて、市町村長が副知事に「ぜひ知事になってください」と副知事室に要請にくる。県主催の会議、例えば介護保険の学習会、道路が完成しての祝賀会、そういう行事のほとんどに副知事が知事の代理として出席し、その会が終わった後の懇親会では事実上副知事の選挙の決起集会。市町村議員が必ずでているか、農業委員はでているか、市町村長がでているかを名簿を前にチェックするというひどい事態でありました。県庁のほぼ全部局といってもいいほど、土木部を中心に副知事の選挙のための政策集団になり、県庁の中で勤務時間中に作られている。土木部は選挙が終わってから次々に逮捕されましたが、県庁のコンピューターを使って後援会集めをやる。休日には建設業協会の名簿で土木部の職員が軒並み電話をかけるというぐるみ選挙が公然とやられ、市町村の役場もそうですが、選挙後塩尻市の助役さんが責任をとって辞職されますが、市町村の市役所・役場で副知事のポスターが配られたり、そこへ建設業者に取りに来させたり、役場の中で選挙の相談会が開かれ、そこに参加しないと踏絵でチェックされる。
 今まで20年間やった吉村知事の選挙はそういうパターンで、副知事を推さなければ人にあらずという利権の構造が末端までびっしりはりめぐらされているというのが長野県の実情でした。
 財界人たちが次々と口火を切り、文化人も自由に発言をし、そういう状況の中で長野県民からこれはおかしい、これはかえなければとなっているのに、選挙は全然変わっていなくてそれにクレームをつけるのは日本共産党だけという状態。県民の想いは非常に募ったわけです。田中康夫さんも信濃毎日新聞に登場した文化人の一人で、「長野県は硬直化している。閉塞状態だ。ここで変わらなければしなやかな柔軟な県政にならなければ」と発言しました。財界人が必死になって候補者探しをはじめ、県民の会の中野早苗さんもいち早く立候補した一人で、ブームをよんだわけですが、田中康夫さんもその気になり、良心の声が結集するということになったわけです。

田中県政誕生の原動力は  
 新人同士で41年ぶりにたたかうことになったわけで、マスコミが良い役割を果たしてくれました。マスコミ主催の公開討論会を生放送で1時間くらいの番組でやる。こうした放送をやり、論戦が大いに展開されました。最大唯一の公約は「しなやかな県政」ということで、よい意味にとれば「いったん決めた公共事業であっても、しなやかに白紙に戻すし、見直す」ということです。「税金の使い方も県民の願いにこたえて変える」ということです。何をいっているのかチンプンカンでわからないということが公開討論会を通じてのその時点での田中さんへの評価でした。「うわさの真相」の「ペログリ日記」などの軟派なイメージも重なって「ちょっとあの人じゃなあ!?」という声もあったわけですが、背景にあった県政を変えたいという県民の思いは、副知事だけは知事にしたくない、官僚県政にはストップをかけたいという意識になって広がっていきました。当選はできませんでしたが県民の会の候補者中野早苗さんが、論戦では大いにリードしてくれまして、公開討論会の場でやられていくうちに、田中さんはしっかり学ばれて最終盤には「30人学級やります」「乳幼児医療費の窓口無料化やります」「浅川ダムなどは白紙に戻して見直します」などとなって見事当選をするわけです。
 残念ながら県民の会の候補者は当選できませんでしたが、41年間続いた官僚県政は見事に終わりを告げました。その結果土木技官が逮捕されたのをきっかけに県庁内部も厳しい審判を受けました。今回の不信任の選挙でも前回のようにやったら負けるという恐怖が広まっていったわけです。田中県政の誕生の原動力は何かっていうと、やはり、「広い意味で流れを変えたい、今までどおりの県政はもうやめようよ。」という県民の圧倒的な良心の声が副知事だけは知事にさせたくない。今まで通りのレールは打ち切りたい。そういう思いが原動力になったと思います。
 選挙中には私たちも田中さんを支援していたわけではありませんので、しなやかな県政というだけで変わるのでしょうかと批判したわけです。この公約が実際に田中さんが知事になって実行されていく中で、私たちが思っている以上にすばらしいことなんだと学んでいくことになります。知事が代わっての2年間は今までより何倍も忙しくなりまして、ある朝起きると突然新しい出来事がマスコミで報道されます。脱ダム宣言もそうですが、その都度責任を持って対応していかなくてはいけないわけですが、県委員会副委員長ですからこれまでは、県委員会に行ってから県庁に出かけていました。しかし、朝何がおきているのかわからないので、まず県庁に出かけることになりました。いい意味で新しい課題を知事が突きつけてくるわけです。私たちの提案も良いことは大胆に取り入れるわけで、やりがいもある反面、責任もあるわけです。一つ一つの提案に責任を持っていかなくてはなりません。

日本共産党の予算要望に質問
 日本共産党県議団の予算要望を一番勉強しているのは知事ではないかという場面もあります。田中知事から、「日本共産党県議団の予算要望を見た。どうしても理解できない項目があるけど、どうしてなのか」と聞かれました。それは地方議員団のみなさんや県下各団体からの要望をもとにまとめていますが、実現できないものは次の年にも予算要望としてあげてきました。しかし、今の到達点からみてどうかというチェックが欠けていて、例えばU字溝などを市町村道に設置してください。という要望について「共産党がこの環境の時代に長野県にU字溝をはりめぐらせというわけですか」と言われ、ローカルな要求ですからと説明しましたが、反省させられる出来事でした。
 知事自身が300項目の一つひとつにびっしり赤線を入れ、学んで突きつけてくるということで忙しくなったのと、常に民主主義の原点に立ち返って取り組まなければなりません。知事が話題を振り撒いてくれますし、ローカルなマスコミやテレビ局からも取材がはいり、私も共産党県議団長としてさまざまなコメントを求められます。そのコメントがこちらは正確にコメントしてもマスコミは都合よく使うわけで、誤解を生むことがあり、県委員会や県議会、私のホームページに意見が殺到するわけです。だから、コメントのどの部分を使われてもいいように、なるべく誤解をうけないようなコメントをしなければなりませんから、大変勉強になります。

ガラス張りの知事室
 話を元にもどしまして、すごく感心したことは、田中知事の民主主義に対する感覚、考えが並みの者ではないということです。私たちは議会の中では民主主義について一番がんばっていたつもりでしたが、知事が次々に提案する施策の数々をみて、私たちのほうがまだまだ甘かったと反省することがあります。例えば、選挙中の公約に「包み隠しない県政にしていくんだ」そこには利権がはびこれない、内緒のお約束ができない県政にしていかなければならない。県民益に沿う県政にはならない。だから、知事室は今までの奥深い3階の知事室ではなく、1階の県民ロビーを仕切りをしてガラス張りの知事室にしていくんだとなりました。県民ロビーの1画を仕切りまして、100万円くらいでしたが地元の大工さんや電気屋さんに発注しまして、机などは県庁の倉庫に眠っていたほこりのかぶっていたものを使うなどの節約ぶりでした。設置されたガラス張りの知事室は、すべてをそこで行うわけです。つまり、300項目に及ぶ予算要望も突然訪ねてきた人を出迎えるのも、マスコミが取り囲むわけですから、ゼネコンの社長があの工事よろしくとか大物県会議員がうまく頼むよなんてことは口が裂けても言えない。多くの県会議員たちは知事室にさっぱり行かなくなりました。
 今度の不信任について毎日新聞の社説が「不信任の大きなキッカケ 公共事業やダム中止などの難しいことではなく、やっぱり県会議員を不信任に走らせたのはガラス張りの知事室があったからではないか」つまり、すべて筒抜け、すべて公開,包み隠しのない県政というのはガラス張りの知事室を拠点に行われているわけです。部局の打ち合わせもそこでやります。知事のいないときはカーテンが引いてありますが、知事が部屋にいるときはあいていて、県民ロビーから丸見えなんです。知事の体調を心配するご両親から、県庁にいる時は小さなお弁当が持たせられます。それを食べている様子までガラスを通して見えるわけで、県の内外からくるお客さんなども多いんです。愛知の瀬古ゆきこさんも建設委員ということで長野の浅川ダムを見学に訪れました。「ガラス張りの知事室見たいわ」ということで、ちょうど県庁に知事がいまして「会えるかしら」ということで、聞いてみたらいいですよということで知事に会いました。せっかく国会議員さんがみえたからと土木部と浅川ダム建設事務所所長を(説明に)付けてくれ見学しました。つまり事前のコンタクトがなくても突然でも、知事がその場にいてお客さんがいなければ、一県民でもそうでなくてもどなたでもお会いできるのがガラス張りの知事室です。ぜひみなさんも長野にお越しの際は一度お立ちよりください。

県民との直接対話 〜車座集会、どこでも知事室、ホットライン〜
 あわせて知事がはじめたことで、遠い過疎地の村にまず率先して出かけ、住民の声を直接聞こうという車座集会を開き、どこでも超満員。また毎週水曜日は県庁講堂を使って県職員対象の車座集会。というのをやっております。他に「ようこそ知事室へ」という葉書を県庁に出してもらい、知事と話したいという人で知事にクレームをつける人も応援する人も個人でもグループでも抽選で月2日一回15分ずつ知事と直接対話ができるんです。それから地方事務所、現地機関といっていますが10箇所あります。その事務所に知事が出かけていき2、3日間そこを知事室にする「どこでも知事室」というものです。地域の市町村長や議員や住民との懇談やその地域の現場を見て歩きます。また、「県民の声ホットライン」というのもありまして、FAX、メール、電話、手紙、はがきなんでもいいですが、知事が答えることもありますし、県の各部局が答えます。いずれにしてもこの寄せられた苦情や質問などについて必ず一週間以内に名前を名乗って担当者がお答えします、解決できていない事態について進行状況を報告し、解決できるまで一週間ごとにお答えしていきます。これは大変好評です。県民との直接対話による民主主義の前進ということで、車座集会などはどこでも2、3時間の単位ですが時間が足りません。次々にいろんな人が質問や意見を述べますし、知事がていねいに答えます。これを見ていた県会議員は「知事にこんなことやられたんじゃ、議員の自分の仕事がなくなっちゃう」「直接対話は県会議員がやればよくて、知事は市町村長・県会議員と間接対話をやればいいんだ」とおかしな民主主義をもちだします。これは県民からも大いに抗議の的になりました。
 県政に自分たちの声を直接届ける中で、県民は自覚をいっそう高め、知事や県会議員におまかせの県政ではなく、自分たちが知事や県会議員と横並びで県政に参加して動かしていくという自覚をとても高めたわけです。
 2年前の知事選で知事が変わってから、長野県の主婦は30分早起きをするようになった。早起きしてまず新聞に目を通して、県政の記事を読んでから家族の食事の支度をするようになった。これほど県政への関心が市町村の行政以上に大いに高まった。県民のすさまじい勢いの変化に県議会多数の不信任推進派が気づかなかった。今度の選挙大失敗の原因でした。

賛否両論の県民を公募で検討委員に
 検討委員会ですが、しなやかな県政にするという田中さんは、県民の会の中野さんとの論戦にも学び、問題になっている公共事業、住民がクレームをつけている公共事業はいったん白紙に戻して見直すということで、高規格道路、産業廃棄物の処分場などについて各種検討委員会が設置されました。長野県の新しい試みというのが公募で賛否両論の住民をいれるというのが非常に大きかったわけです。今までは浅川ダムに反対する会の会長はまず落とされたわけですが、今は頑張っている人ほど公募で委員になれるということです。
 賛否両論の住民を半数ずついれる、専門家だけではないということです。県会議員と全く同じ対等平等に委員になるわけです。住民が検討委員会の委員として発言しますから、公共事業の見直しだけでなく、県政に参加することになり民主主義の大きな前進につながったと思います。
 ダムの検討委員会も県会議員や市町村長を入れるというのはダム推進派・不信任推進派である県会議員たちの苦肉の策といいますか、知事提案の検討委員会が出来てしまったらもうダムは作れなくなる。この委員会に県会議員や市町村長を送り込むことによってダムを作らせていく火種を残すんだと提案された条例であり、委員会ですので厳しい事態が予想されました。 知事の委嘱の仕方がユニークで、県会議員を入れるなら1人か2人で今までなら最大会派から、与党議員とか議長とか土木委員会の委員長を入れる。市町村長はすべて推進派ですから、これでダム推進の議論がリードできると考えていたわけです。
 知事はこの条例をもとに、賛否両論の議員を入れるべきとして反対派の共産党からも委員会にはいることができるようになったわけです。その後私は浅川ダムの部会長に互選で選ばれました。検討委員会の力関係はダム推進派が半分、反対が半分です。この委員会がダムなしの答申をだせたというのは至難の業だったと思います。田中知事は民主主義のバランス感覚がとてもすぐれている人だと思います。

連合の妨害をはねのけ県労連委員を任命
 今度の不信任選挙の後、相手の有力候補として担いだのが女性の弁護士さんでしたので、良心的な自由法曹団の人たちが応援したときに出したビラに「法律家からみた田中県政ー1年8ヶ月の改革を後戻りさせないために私たちは田中さんを支持します」とこれまでの実績がびっしりまとめてありました。ハンセン病の療養施設をマスコミを連れずに訪問、脱記者クラブ宣言でも編集者・マスコミ関係者でなくても県民、一主婦であっても記者会見に参加できるし、大手新聞社と同じように質問もできる。もちろん赤旗も参加して質問もできます。地方労働委員会の労働者委員に県労連推薦の委員を入れる。連合が怒りました、今度は田中知事を推せないとしましたが、知事が労働委員に県労連の委員をいれるといい始めたとき、連合の笹森会長まで連れてガラス張りの知事室で「選挙に唯一組織的に応援した。連合が応援しなかったらポスターが貼れましたか、組織票が獲得できましたか。その連合に反旗を翻すなら今度は田中さんを選挙で応援できない」と言ったわけです。知事は「選挙で応援してもらったとか、もらわなかったとか、そういうことと県政を進めていく立場は全く関係ありません。そういうことなら応援していただかなくても結構です。公平な人事をやることがなんら悪いこととおもっていませんから県労連の委員をいれます」こうして、医労連の委員長工藤きみこさんを任命しました。県の公安委員に松本サリンで被害を受けた河野よしゆきさんを県警の抵抗をものともせず、公安委員に任命しました。長野県では飯田高校殺人事件で、教育委員会が個人の責任においやろうとしたのに対して、知事は「教育行政が変わっていかなければいけない。2度とこういう事件が起きてはならない」といって検討委員会をつくり、被害者遺族のお父さんを委員にいれ、自由法曹団の弁護士さんをいれました。また、県が訴えられている裁判、例えば、県道の崩落があり母子家庭のお母さんが車で子どもさんを迎えに行く途中この崩落にまきこまれ、亡くなってしまいました。これは県の土木工事の欠陥が原因であると裁判が起こされましたが、県の側は不慮の事故で県の土木工事の責任ではないと断固受け入れなかったわけですが、知事が変わり遺族への謝罪と県としての責任を認めて和解し、損害賠償を支払う解決をみています。この他にもいくつかの裁判が解決してきました。

公共事業の見直し予算スタート
 公共事業の見直しの問題ですが、旧オール与党会派は知事が替わったあとに予算要望をしませんでした。共産党は従来通り要望したわけですが、この要望を受ける中で田中知事は長野県の借金の原因が大型公共事業ゼネコン奉仕にあることを早くに見抜きました。当初予算では小さいのに決算で大きくなるのは、景気回復の名で公共事業大判振る舞いがやられ、補正で大きくふくらんでしまうことです。ですから知事は災害以外の公共事業を補正予算で1円も予算化しませんでした。これが旧オール与党に反感を買うことになります。日本共産党県議団が300項目に及ぶ予算要望をして、知事自身が学び予算を組みかえる中で、前年度に比べて253億円公共事業予算を削りました。決まっていた公共事業も94箇所先送りしました。これまで要求してきた、借金を減らすことや大型公共事業ゼネコン奉仕の偏重をやめ、福祉密着型の予算に組みかえる新年度予算について、日本共産党の態度をどうするか悩みました。党中央にも意見を聞きましたが、「地方分権の時代です。皆さんが責任をもって判断してください」と言われ、この予算に賛成していこうとなりました。福祉密着型の予算編成で、市町村から要望のあった特養ホームの補助金をすべてつけ、老朽化した養護学校の建設予算もつけるなど、長野県政の変化の流れを本物にしていこうと史上はじめて共産党として一般会計予算に賛成いたしました。

「脱ダム宣言」の真実
 この新年度予算案のだされる2日前に「脱ダム宣言」が出されました。旧オール与党の人たちは突然だ、横暴だなどと言いますが、これは事実と違います。2月22日から県議会が始まり、2月20日に脱ダム宣言がでたわけです。下諏訪ダムの用地買収の予算もすでに前知事の時に決められていましたから、ダムの用地買収の用地国債を国からうけるかどうか決める最終期限が2月20日だったわけです。うけませんよということだけでよかったわけですが、「脱ダム宣言」もセットで出したところが作家である知事らしいところでした。
 これまでの長野県政は議会に提案する予算案の中身は事前に根回しがされており、すべて了解済みのものでしたから、41年間知事が提案する議案や条例案は一つも否決されなかったわけです。議会がはじまる前にすべて結果がわかっている。質問も前もってわかっているし、中には県の職員に質問を書いてもらい漢字が読めなくなる議員もありました。知らないことが議会にだされることは初めてですし、彼ら(旧オール与党の議員)には突然で横暴だということです。私たち日本共産党議員団は田中知事になってからもその前も議会提案はいつも突然だったわけで、県民にとっても初めて聞く内容です。県民の目線で考え、議会の中で大いに論戦をすればいいわけです。
「脱ダム宣言」により、ダムに頼らなければ科学的根拠をもって洪水対策を考えることになり、厳しい不況の中での新たな雇用を生み出すことや環境対策として森林造成など多くの点で光を当てたものでした。
 長野県ではコンクリートによるダムを新たに作るべきではない。河川改修がダム建設以上にお金がかかるとしても、貴重な自然を破壊するべきではない。こうした考えは長野県の県政に新たな変化をもたらすことにつながったと思います。
 『信州木こり講座』というものがあり、建設業の人たちに県主催でチェーンソーの資格を取れる内容で1000人の人たちが参加して資格を取得しております。議会が反対したりするのに、現場の中小零細の人達には森林造成など新たな雇用が生み出され、これまでのゼネコン奉仕の公共事業とは違い、森林造成でがんばっているという点で県民からも支持されるし、いいんじゃないかということで新規参入者が多くありました。森林造成予算も当初から比べ5割増しくらいになり、新規の森林造成関係の整備事業に約6割近くの建設業者が新規参入しております。間伐について民有林にも予算をつけることを今年から始め、林野庁にも知事が直接掛け合いに行きまして、林野庁の予算の一つで間伐について全国の5割が長野県にきておりますし、新たな仕事起こしにつなげています。

県民の意識の高まりと変化
 今回の不信任による選挙後と(田中知事に代わる直前の)2年前の9月時点を比べると、借金も400億円も減り始めました。県政が変わりはじめてきたのは、知事一人がすごいわけでなく、県民が自分の問題として県政に参加することがその変化をもたらしたのだと思います。浅川ダム建設中止、ダムなしでいこうとの答申が出されたのが今年の6月7日でした。淺川ダムは河川改修を終えて、後は本体工事を残すのみでした。前知事は工事の発注をし、契約をかわしていました。2ヵ月後の知事選挙で代わった田中知事が現地調査で一時中止、ストップをかけたわけです。(田中知事再選後)工事の契約解除を行いました。
 不信任がだされた背景には、2年前から田中県政がこのまま続いたら県会議員としての役割は何があるんだ、利権にもかかわれないし幅を利かすこともできない。知事が県民と直接対話をすることで、一体何をやっているんだと県民から言われる。2年前から不信任を考えていましたが、出すタイミングをうかがっていました。というのも与党議員の中の足並みがそろわず、田中知事の人気の高さもあり出せないままきたわけです。それで、ようやく昨年6月に「知事の発言と行動に反省を求める決議」をあげたわけです。今年の2月の予算議会で「知事問責決議案」を可決しました。反省を求めるだけでは足りず、知事が長野県の財政をダメにするんだと自分たちが借金を作ってきたのにです。また、公共事業が減っても地元の業者には喜ばれているのに、ゼネコン奉仕をもっとやれと問責決議をあげました。しかし、知事は着々と改革を進めるし、共産党のいうことばかり聞いている。もう我慢ならないとおもっていたところ、ダム検討委員会のダムなし答申が出され、ダム建設中止、業者との契約解除と進んできたわけです。県政会の名誉団長石田さんが週刊新潮のインタビューに「なぜ不信任にいたったかといえば、踏んではならないトラの尾を踏んだからだ」「もっとわかりやすく言えば、米びつの中まで手を入れられたからなんだ」と答えています。つまりゼネコンとの癒着の関係、利権の構造を断とうとするからです。これに対して知事は「県議会多数のみなさまがダム建設にこだわり続けるのは、私や多くの県民が理解できない奥深い何かがあるのではないでしょうか」と反論し、この利権許してなるものかと選挙にがんばることになったわけです。

不信任阻止のたたかい
 不信任とその後の選挙で82万票の圧勝でした。2年前の田中さんの得票が58万票で、県民の会の中野早苗さんが12万票で合計70万票でしたから、大きく上回ったことになります。これは1年8ヶ月の田中県政が県民に身近なものになったこと、知事の議会でのがんばりだけでなく県民が県政をかえるために一緒にがんばってきたからだと思います。それと、私たち日本共産党がとりくんできた大量宣伝と論戦が大量得票につながったのだと思っております。
 しなやか会という無党派の支援をうけての選挙で、最初から私たち県民の会とは政策協定を結べないからということでした。政策協定を結ばずにどうやって選挙をたたかうのか党中央にも相談しましたが、「地方分権の時代です。」ということで自ら切り開こうとやってまいりました。今回は知事の任期半ばで議会の多数派が無理やり不信任という形で知事をやめさせるという民主主義の問題としても許せないことでした。1年8ヶ月、良いことばかりではありませんでしたが、利権にかかわらず軸足を県民において県政の転換をすすめる流れをつくっていましたから、田中さんを推すしかないと考えて、独自候補を擁立せずにたたかいました。
 不信任阻止のたたかい、なぜ私たちが不信任に反対するのか県政の到達点は何なのかを明らかにするビラを大量全戸配布しました。知事からはビラ配布や宣伝カーはやめてほしいといわれましたので、少し遠慮して県庁のまわりはやりませんでしたが独自のとりくみとして後は大いにやりました。不信任は可決されましたが、その時点で県民は不信任の問題点がどこにあったかを知ることになりました。不信任阻止のたたかいと民主主義を守ることが大切であることを県民の多くが理解したわけです。
旧オール与党の側はこれまでの県庁ぐるみ、団体・議会・市町村ぐるみの選挙ではたたかえない、不信任への怒りも高まっていることを考慮して、議会主導ではなく市民グループの自然発生的な候補者の擁立とみせかけてたたかいましたが、すぐに実態は見抜かれてしました。前回の選挙で利益誘導型、団体しめつけのやり方は否定されているわけです。共産党も政策協定も組織協定も結ばずに勝手に支持し応援する選挙をやりました。これにはいろいろなところから問い合わせや意見もありましたが、やってみてよかったと思っています。選挙戦では個人ということで活動することを基本にしていましたから、共産党でもなくても個人で応援は自由にできるわけです。ボランティアに登録して、連絡がきますから、ポスターの貼り出しやビラなどを配布する活動を行うわけです。一人が5人をお誘いして集会にきてくださいという方式です。出陣式もユニークで司会もなしで最初から知事がマイクを握り、応援演説もなくアナウンサーもなく知事が一人でマイクを持って出発しました。しかし、長野県内をいくら知事一人がまわっても(それだけで)政策内容を浸透させることはできません。

82万票は草の根の語り部である県民の力
 知事の支持母体のしなやか会ではこれまでの1年8ヶ月の実績をびっしり書いたビラを発行していましたので、これを共産党員の方が団地全戸にいれようと1000枚下さいと言ったら、「ビラは一人ひとりに直接会って手渡しながら対話をしてもらわないといけないので一人20枚までです」と言われたそうです。マスコミも前回と違い公開討論会などいっさいありませんでした。論戦を広げ、政策の中身を県民に知らせていく上で、共産党勝手連は大いに力を発揮したと思っております。共産党県議団が県政報告会を県内280回行いました。双方向型の対話方式で一時間はこれまでの田中県政の到達をお話しし、後の一時間は質問や意見を交流しあうものです。その場に来た人たちが語り部となってさらに回りにひろげていくというやり方で告示までに宣伝カーも走らせておおいにやり、宣伝カーの音を聞きつけて集会に無党派の人がやってくるようになりました。県政報告会も30人から600人くらいまでの規模でやり、多くの県民が真実を知り、語り部になってくれました。県民の会の役員で県労連や新婦人などの方々も県政報告会として団体内でもやられ、これらを含めて数百回、何万人という広がりをもっていきました。こうした草の根の語り部たちである県民が真実を知らせ、今回の82万票の圧勝を生み出したのだと思っています。
 選挙後の県議会は大きく様変わりしました。最大会派の県政会は役員の入れ替えや再編、無所属になったりして、現在最大会派は9名です。共産党は補欠選挙で上田市の羽田孜民主党政策顧問の後援会ちくま会の直系候補者を1万票引き離して勝利し、6名の県議団となりました。代表質問もでき、議案提案権も得てまいりました。委員会でもこちらの言うことが大体通ってしまうし、議案提案した5つの意見書のうち2つが全会一致で採択されました。不信任した議員とは思えないような「知事が圧勝したのは県民益に沿った真摯な姿が支持されたことに感動しました」発言もされるなど様変わりしております。いずれにしても来年4月の選挙を前にこの変化が本物であるかどうか見極めていかねばなりません。これからも引き続いて県政の流れを変えていくとりくみに努力していきたいと思います。

以上で報告を終わります。ありがとうございました。


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