退任にあたって

 

 長い間、大変お世話になりました、心からお礼申しあげます。

 名古屋駅に降り立ったのが1958年3月でした。大津橋経由・開橋行き「市電」にゆられ就職先に向かったことや辞めて帰ろうと思いを募らせていた翌年9月、伊勢湾台風の救援活動が労働組合との出会いとなったことなど、昨日のように思い出されます。

 単組や産別の活動しか経験のない私に、83年9月、愛知統一労組懇から「手伝ってくれないか」との誘いがあり、再建したばかりの職場を離れることに少々のためらいもありましたが、1年か2年ぐらいならとの思いでお引き受けしました。

 ところが労働戦線の再編をめぐる情勢は、お手伝い気分どころか、いささかの手抜きも許されない重要局面にあることを知らされました。

 それは上部からの選別結集の押しつけであり、反共と労使協調への屈服、そしてこれまで日本の労働運動が築いてきた積極的伝統のすべての放棄を強要するものでした。

 統一労組懇運動から階級的ナショナルセンター全労連やローカルセンター愛労連の確立へ。そして結成から創生期をとおして、反動攻勢と言われる逆風のなかで意欲的にたたかい抜いた仲間たちの顔や感動的な場面が今でも鮮明に思い出されます。

 1989年11月、方針や運動方向が鮮やかな対象を見せてスタートした全労連と連合ですが、その後の10年間の歴史は、労働者をめぐる情勢のきびしさの反映でもありますが、要求の共通性やたたかいの共同への条件を大きくひろげつつあります。お互いよく頑張ったね、と言える奮闘ではなっかたでしょうか。

 たたかいのなかで育まれた友情と連帯、このすばらしい仲間たちとの出会いは、私の最大の誇りであり喜びでもあります。

 私は、いま、労働戦線をめぐる戦後最大の激動期を、多くの仲間とともに、たたかいの一翼を担えたこと、また、歴史をつなぐ一人のランナーとして、与えられた区間を何んとか完走できたことに満足しています。

 そして何よりも、真の労働戦線の統一促進とともに、輝く21世紀の実現にむけ、大いに羽ばたく新星チームへ、それなりの位置でタスキを渡せたことに安堵し充実感さえ感じています。

 お世話になったすべてのみなさんに、引きつづき愛労連へのお力添えをお願いし退任の挨拶とさせていただきます。

2001年7月

 

 

 


愛知県労働組合総連合      

前議長  阿部 精六       



←TOPに戻る